top of page

オルタナティブ・アーカイヴ
真実の欠片が散っていくから

執筆:高橋優羽

はじめに/Just a beginning

  学術論文の執筆に追われる日々のなか、友人から企画への寄稿の誘いが届いた。開放的な雰囲気のあるその企画内容にふと肩の力が解れ、厳密な論考から少し離れて、もっと余白に目を向けた文章を書いてみたくなった。

 

  「コンテクストと物質、そしてその間 / Context, Material, and In-Between」企画の始まりとして位置づけられたこの展覧会は、出展作品の制作背景や形式の多様性を認め、異なる表現を包み込む若い作り手たちの民主的な試みでもある。開かれた場には開かれた心が集うもので、本稿もまたそのひとつとして置かれる。

 

  企画内容のなかでも興味を惹かれたのが、自分たちの活動を残していこうとするアーカイヴの実践であった。学術書に比べ、ネット上の流動的な情報や個人ブログ、日記やエッセイは、その出所が不明確で、内容も確定的でないことが多いために、論文の根拠としては扱われにくい。しかしそうした一次的な記録や断片は、書籍や公的資料のような主流の保存形式に移される前の原形として存在しており、そのような原形を意欲的に保存する試みこそが、アーカイヴの出発点なのである。

 

  過去の出来事について知ろうとするとき、私たちは歴史書を読みますが、それはある視点からしか書かれていない。

  アーカイブとはそれに対して、ある視点からしか語られていない歴史を、今に持ってくるために開いて、今につなげるための装置なんです。それは歴史をひとつの語りに押し込めないための、歴史の民主主義に関わる装置です。

——「ヒューマンライツ&リブ博物館-アートスケープ資料が語るハストリーズ」カタログより

 

  ひとつの文脈が他の文脈を排除せず、また未来の書き換えによって過去がゆがめられないように。現在の証拠を残すアーカイヴは、その真実を未来へ届けるための時間のメディアとしてある。実際に社会の潮流とは距離を置いて活動を続けた集団のアーカイヴズや、周縁化されてきた者たちが草の根的に編んできた歴史──それらオルタナティブなアーカイヴの実践は、時に整然とした歴史以上に体温のある知見をもたらすことがある。本稿では、より民主的なアーカイヴのために、その意義と実践の数々を紹介したい。​​

 

「プレイ」って?/Meet “THE PLAY”

  それでは早速、実際のアーカイヴズの探求へと移っていこう。
  一つ目は、現代美術の領域を悠々と越え、アーティストも鑑賞者も一体となって自然の中を遊び続けてきた集団“プレイ”(THE PLAY)について。彼らの活動は社会的意義や現代美術的文脈からは自律した独特の時間感覚に拠っており、参加メンバー以外にその作品の明確な目撃者をもっていない。それにも関わらず、後に彼らの活動記録は国立国際美術館で公開されることとなり、その雑多な記録資料は美術館収蔵の運びとなった。公的機関でのアーカイヴズ認定。その実現は彼らの自主的なアーカイヴ意識があってこそである。プレイの具体的な活動を追いかけながら、その傍らで変化し集積していったアーカイヴズの行方を辿っていこう。

 

プレイ (THE PLAY)
  関西を中心に1967年から活動。(中略)メンバーは流動的で、何らかのかたちでこれまでプレイに参加した人の数は100名を超える。発泡スチロール製のイカダで川を下る、京都から大阪へ羊を連れて旅をする、山頂に丸太材で一辺約20mの三角塔を建て雷が落ちるのを10年間待つなど、自然の中での「行為」を計画し、実行し、その体験を日常に持ち帰ることを繰り返している。

——展覧会THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ 国立国際美術館​​​

 

  五十年という長い時間感覚と、自然の中で行為するというスケールをもって真剣に“play”=遊び続けてきたこの集団は、まさに 「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」。絶対的なリーダーを持たず、また具体的なドグマ(教義)やミッションも持たない特殊な集団プレイは、行為の度にあり様を変えながら、 有機的に存続しており、その活動は現在に及ぶ。ある種牧歌的なスタンスである彼らの作品への参加は「やるかやらないか」というただその一点で決まり、それぞれの個人的な動機や芸術的な信条は特に問われない。プレイの活動が「ハプニング」という現代美術的な言葉ではなく、より普遍的な「行為」という言葉によって語られるのは、その本質が体制への批評や物事のプロジェクト的な達成ではなく、体験そのものにあるからであり、生存という目的を越えた営み、目的を持たない行為に、彼らは人類の本質を求めてきた。

 

  ハプニングがハプニングっていうけっこうイケる名前をもらう以前のもっと以前の大昔。人間様が何かのヒヨウシに地上にポッと姿を現した、その辺から本来は問わなければ全くハプニング街四丁目行き止まりですよ。

——プレイ『PLAY』《MARSHMA -LLOWS&HOT AIR》トビラページより​​

 

セルフアーカイヴズのメディア/Media  of Self-Archiving

 -「報告」としての記録誌『PLAY』
  プレイは自らに対して3つのルールを設定している。まず「雨天決行」「有言実行」という2つのルールは、行為に先立って告知された情報を目にした第三者のためにあり、「報告」という3つ目のルールは、メンバー以外の鑑賞者や研究者とプレイの活動を繋げるためにあった。プレイの活動が内輪のみで完結しないよう、現場に居合わせなかった者に対して活動をセルフ-アーカイヴした記録誌『PLAY』を刊行するなど、彼らはそのルールの遂行にとりわけ注意を払ってきている。それは行為者としての義務行為でもありながら、「編集と発行」のプロセスをもつセルフプロデュース=プレイ自らが「プレイ」を定義し直す行為でもあった。その例をひとつ挙げてみよう。

 

  芸術実践と政治活動が近接したとされる1969年、プレイの行為には《HOSPITAL──エイプリルフール ハプニングス》というものがある。混沌とした時代の中での作品であったが、これらのアーカイヴには一貫して病院廃墟の探検という無邪気な遊びのような雰囲気が保存されており、特定の政治的主張などはひとつとして見られない。時代や流行に徹底して距離をとるその慎重な語り口に、私たちはプレイの本懐を垣間見る。アーカイヴ化による自己の情報選択は、結果としてその活動の真意を伝えるメッセージともなりうるのである。

 -定点観測としての『プレイ新聞』
  プレイはまた「行為の理論的裏付けとして、行為の記録として、 PLAY新聞を発刊」している(『PLAY』1981年)。Vol.1~Vol.3と変化していくプレイ新聞は、よりリアルタイムなアーカイヴとして機能しており、政治的主張や現代美術の文脈とは別で、という活動スタンスが完成されてるまでの、リアルな過程を見ることができる。


  《HOSPITAL──エイプリルフール ハプニングス》を記載したVol.1。ここには「ハプニング」に対する見解を各メンバーが記名とともに寄稿しているのだが、後にプレイを去る水上旬(1)による総合編集がなされたその紙面には、水上個人の「ハプニング」観であるものが、プレイ全体の見解として提言されている。続くVol.2でもまた個人の連名による文章が掲載されており、引き続き水上の編集によって刊行されているのだが、プレイの方向性と個人のスタンスに重なりを見いだせなかった彼はここでプレイ離脱を表明してもいる。

 

  最後の発行となるVol.3では、1969年に行われた《7DIMENSIONS──ハロゲン化するプレイ氏の触媒調合あるいは一二〇九〇帯での追跡計画》という作品についての記載があり、プレイはこの時「第七回 現代美術の動向」展会期中の日曜を中心に、計七回のハプニングを企画し、会場である国立美術館を起点に行為を行った。プレイの目的は反体制的な主張や特定の政治的主張でもないために、「美術館でハプニングを行う」こと自体に抵抗を持つメンバーはいなかったそうだが、その六回目の行為で事件は起こる。行為の最中、学生グループが美術館の窓ガラスを割ったり赤いペンキを投げつけたり壁にペンキで落書きをし、プレイメンバーからも2名が連行されたのである。事態は展覧会担当者により速やかに修復され、結果七回目のハプニングは中止となったというが、この事件は、集団としてのプレイとメンバー個人の主張がどのように折り合いをつけるべきかという内部問題を露呈させ、個の表現のアッサンブラージュであった『プレイ新聞』は、ここで一度終わりを迎えている。​

 

  (1)水上は一九三八年生まれ。一九五八年に京都大学法学部に入学し、翌年より詩の同人を結成するなど表現活動を始めた。黒ダの前掲書によれば、一九六〇年の七月に国会議事堂前で「追悼儀」ハプニングを行ったのが行為表現の開始とされる。

——P63 注釈(66)より

 

  その後のプレイはますます匿名性を強め、個としてではなく集団としての活動を魅せていく。結果として『プレイ新聞』は、スタンスの移行する只中にあるプレイのアーカイヴズとなったのだった。
(のちに『プレイ新聞』は2016年の国立国際美術館での展示にあたって、『PLAY 新聞 SPECIAL』という続編を発行することとなる。齢70を過ぎるメンバーそれぞれがプレイの活動を振りかえり、文章を寄せた。)

 

美術館収蔵へ/ Archive Entering Museum Collections

  2016年に開催された国立国際美術館でのプレイの個展「THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」に際して、プレイの活動の資料は改めて調査された(1)。資料はメンバーの池水慶一、鈴木芳伸のもとでそれぞれ保管されていたようで、実際に調査に当たった展覧会学芸員の方の声をここに紹介したい。 


  (1)(メンバーの)池水は、「各行為の告知印刷物、メンバー用プラン、報告印刷物、準備のための調査資料、掲載誌など主に紙媒体の資料を、ファイルや紙箱などに丁寧に整理し、保管して」おり、「映像資料(フィルム、VHSなど)、写真資料(ポジフィルム、 ネガフィルム、さまざまな種類の紙焼き写真など)も整理して保管している。(中略)写真については、(中略)AやBといったランクがつけられたものとそれ以外のものに大別され、「公式イメージ」と言わないまでも、プレイが「良い写真」として選別したものが、展覧会や印刷物に反復的に使用されてきたことが理解できた。また、写真としてあまり精度の高くないもの、 周縁的な記録、プライベート要素が強いものなどは、紙焼きのスナップ写真としてまとめて箱に入れて保管されている。それらをくまなく見ていくと思いがけない発見もたびたびあり、2016年にプレイの個展を企画した際には、AでもBでもないような写真群から、メンバーも忘れていたようなシーンが発見されることもあった。」
  また鈴木文庫と呼ばれる資料一式の調査では、「主にメンバー全員に配布された告知印刷物、メンバー用プラン、報告印刷物であ」り、「行為に直接は紐付かない会合の案内や、準備段階のさまざまな通信(葉書・封書) なども含まれている。告知印刷物などは、池水がメンバー全員に郵送を手配していたが、そこに添えられている手紙に書かれた内容も、筆者にとっては発見や示唆に満ちていた。」

——『ザ・プレイ 流れの彼方』、橋本 梓、2025年、水声社、P159-164より引用-要約

 

  プレイの記録写真やエフェメラ(2)などのあらゆるアーカイヴズは、記録時点での便宜的な選別によって2016年時まで保管されており、収蔵後も世界的な展開をみせた。その際に新たな価値、文脈を見出され、今なおその価値は再発見され続けている。

 

  コレクションとして国立国際美術館へ収蔵されたプレイのアーカイヴズが示しているように、アーカイヴズは時と共に、あるいはそれを手にする人間の価値基準と共にその意義を変化させていく予測不可能な性質をもつ。それゆえに、記録資料は決して過去のカテゴライズに従って管理され続けるものではないし、先の未来を阻まれるものでもない。あらゆるアーカイヴズは限りなく未知数の価値にあり、たとえ公的領域を獲得したあとも、あらゆる価値観によって再文脈化され続ける。

 

  (2)エフェメラ(ephemeral)とはアーキヴィストや司書らに用いられる専門用語で、通常「雑多なもの」とカテゴライズされるような物品を指す。

——『感情のアーカイヴーートラウマ、セクシュアリティ、レズビアンの公的文化』、アン・ツヴェッコヴッチ、菅野優香/監訳、長島佐恵子・佐喜真彩・佐々木裕子/訳、花伝社、2024より

 

クィアヒストリーとハストリー/Queer History and Herstory

  前章ではプレイというひとつの集団におけるアーカイヴの在り方を確認した。本章ではさらに歴史主義的な観点へと視野を広げ、軽視されがちであった性的マイノリティの生きた証に目を向けたい。美術館や図書館といった一般的な保存領域を獲得できなかった彼らのアーカイヴズは、いかなるオルタナティブを創造し、アーカイヴズを構成してきているのだろうか。

 

 -“Herstory”の立場から/From a “Herstory” Perspective

  アン・ツヴェッコヴッチ著「感情のアーカイヴ/第七章 レズビアンの感情のアーカイヴにて」では、性的マイノリティの歴史的実践、特にherstory(ハストリー)(1)の観点から、物質的証拠としてのアーカイヴズの実践について論じられている。ここにオルタナティブ-アーカイヴのモデルを求めることができる。

  (1)「ハストリー[Herstory]」は、従来の歴史[History]が、多くの場合、彼[his]の視点から語られてきたのに対し、彼女[her]の立場からも過去を語り直すべきだとの主張から1970年代に生まれた造語。

——https://www.art-it.asia/top/admin_ed_pics/200448/​

 

  「どのレズビアンも、歴史のなかに収められる価値がある。もしあなたに他の女性に触れる勇気があるなら、とても有名な人になれる。――ジョーン・ネッスル『ただ通り過ぎるだけではなく』」

——『感情のアーカイヴ トラウマ、セクシュアリティ、レズビアンの公的文化』、P.340

まずは多様なアーカイヴズ機関のスタディーズから。
 ①LHA/レズビアンヒストリーアーカイヴズ
  概要:文化的な記憶、歴史が保存される儀式的な場であり、すべてのレズビアンがレズビアンの遺産へ自由に接触できることを目指す草の根的なアーカイヴ機関。知識とともに感情を保存し生み出すために機能する。このような場がなければ放置されたままになるか、親族の無知やホモフォビアによって放棄されるレズビアンの資料への危機感から、1974年、ジョーンネッスルとデボライーデルが借りていたアッパーウェストサイドのアパートに創設。1993年にはブルックリン ブラウンストーンアパートメント(公的補助金ではなく国内のレズビアンによる寄付によって購入された建物)に移設。かつて住宅であったために、私的、家庭的空間と公的な施設としての空間が組み合わされた場となっている。


  施設環境:リビングは図書室、コピー機はキッチン、廊下は展示スペース、最上階はスタッフのための住居。収蔵アイテム :スローガン入りのTシャツ、「Λ」(ギリシア文字 ラムダ)のマーク入りのレズビアンのためのヘルメット、政治的-文化的イベントのポスター

 

 ②GLBTHS/北カリフォルニア-ゲイ-レズビアン-バイセクシュアル-トランスジェンダー歴史協会
  概要:無名の人々の所有物、一般へ向けたアーカイヴの創出を目指す、草の根的な活動を行う。1985年ビルウォーカのアパートの空き家にて創設。ミッション地区の公共の場に移った後、より広いマーケットストリートへと所在を移した。


  収蔵アイテム:マッチ箱の表紙、電話番号交換のためのゲイバーのメモ帳、写真アルバム、イベントのためのコンドーム、バイヴレーター、ゲイポルノ。公共図書館(SFPL)では収蔵の難しい露骨な素材。またLHA、GLBTHSは共に活動団体のミーティング、デモのチラシ、ピンバッジ、ステッカー、収支表などのエフェメラをファイリングしている。

 

 ③ジェームズ-C-ホーメル-レズビアン-センター
  概要:サンフランシスコ公共図書館(SFPL)にある極めて公的な機関ではあるが、中央図書館というオープンな空間からは一線を引いた美しいデザインの閲覧室を設備し、公共図書館におけるゲイ-レズビアンの素材の包括のモデルを示している。資金調達は有名人、政治家、例外的な人物たちの収集品獲得に依存している。収集アイテム:ゲイ-レズビアン文化に関する一部資料。

 

  歴史的関心、研究関心にもとづいて価値を定める公的機関から除外される記録とは、そもそも社会的に周縁化されている生の記録であり、素材自体が儚く極私的なものである。中でも性的マイノリティのエフェメラについては、そのアーカイヴの空間がセミパブリック(半公共:明らかに大衆へ開かれている訳ではないが、その情報を必要とする者対して限りなくオープンなコミュニティ)である必要がある。それはセクシュアリティやセックス、その周辺を記録するアーカイヴズや感情が常に私的なものであり、深く親密な空間(ベッドルームやバー、コミュニティなど)にのみに残されているものだから。そしてその収集もまた、クィアで偏執的な、極めて私的な情動に動機付けされており、扱う物品と収集過程は常にセンセーショナルな次元にある。性的マイノリティのアーカイヴズの性質は、関わる者のプライベートが保証されており、その公的化に対して倫理的葛藤を踏まえたフェアな空間を要請するのである。

 

伝統的アーカイヴズ×コミュニティアーカイヴズ/Traditional Institutions × Community Archives

  半公共的に活動を続けるLHA、GLBTHSはまた、伝統的な公的アーカイヴズと協働を果たしてきてもいる。例をひとつ見てみよう。

 

①1994年夏 展示「可視的になる――ストーンウォールの遺産 Becoming Visible:The Legacy of Stonewall」
  ニューヨーク公共図書館(NYPL)が新収集品としてクィアアーカイヴズを伝統的な展示スペースにて展示した例である。

 ニューヨーク公共図書館(NYPL)
  概要:ゲイ-レズビアンのアーカイヴズのために特別な空間が確保されている伝統的な公的機関。その収集と展示のきっかけとなったのは、1988年 ザ-インターナショナル-ゲイ-インフォメーション-センター(IGIC)(1970年代にゲイ-アクティヴィスト-アライアンスの一部門として立ち上がった草の根アーカイヴ)が、その資料を提供したことであった。

 

  当展示は、マイノリティ側の歴史が権威ある公的機関に包括される可能性があるというメッセージを送り、展示品のアクセスの射程を拡げることとなった。しかし一方では、公的な場で「可視的になる」ことへの批判もある。特に押さえておきたいのは、LHAの独立したスタンスを支持する人物が、彼女達のアーカイヴズをNYPLへ寄贈することに異議を表明することで、伝統的な機関による承認と包括がゲイ-レズビアンのアーカイヴズの唯一のモデルであるべきではない、ということを示した点だ。

 

  「レズビアンとゲイの資料に対する予算を突如引き上げたり、アクセス不可能になることがないLHAの献身的なミッションとは対象的に、公的な資金で運営されている機関においてはゲイ-レズビアンの資料にとっての安全性は全くない。(中略) それは例えば、火事が起きた時に、資料を守ろうとする人がいるということなのです。LHAには25人の女性がいて、命がけでそれを守ろうとするでしょう。」——P.353

 

 LHA——草の根アーカイヴズのモデルとして / LHA——Lessons from a Grassroots Archives Model

  性的マイノリティの歴史の中でも、特にエイズ時代の記録資料は死の記憶と共にある。悲しみの記憶や生傷を内包したアーカイヴズの素材は、その感情的な価値ゆえに、寄贈の抵抗を生んでもいる。その素材は歴史的証拠品である前に、親しい人物の身体の代わりのような遺品の品々でもあるのだから、アーカイヴへの寄贈に葛藤があることは当然のことである。

 

  アーカイヴズを支える物質の価値が単なる知的欲求ではなく、感情とともにあるということ。その点を心から理解し、円滑な解決に導くには、やはり公的機関から自律して活動する草の根のアーカイヴズコミュニティが必要となってくる。その代表的存在としてのLHA、そしてその運営者たちの基本態度は以下の通りだ。

 

  「アーカイヴズとは単に有名人の記録や出版物を保存するだけでなく、わたしたち皆の生の足跡を集めるものであること。そしてアーカイヴズとは、定義上は多くの女性に閉ざされた大学のキャンパスではなく、コミュニティのなかに居場所を定めるものであること。アーカイヴズとは、その人々の政治的、文化的世界を共有するものであり、コミュニティが無くなっても存在し続けるような孤立した建物に位置するのではないこと。

  必要であれば、アーカイヴズは、コミュニティが安全になるまで、隠れた場所で大事にされるよう、その人々と共に地下に潜るだろう」

——『レズビアン-フェミ二ストの立場からのラディカルなアーカイヴ化のための覚書』、P.355

 

  公的機関への根本的な不信から、LHAの運営方針は大衆に開かれた場としての領域を確保することではなく、レズビアンにとっての公的領域を育てることにある。彼女たちにとってのアーカイヴとは「レズビアンたちの世代から世代へと伝えられ、伝統的なアーカイヴズのもつエリート主義を壊していくべきものであ」り、「私たちのアーカイヴズに入るということは愛に満ちた家に入ること」なのだ(P.355~356)。LHAは人を歓迎し育む“セーフスペース”として、より親密なコミュニティ的アーカイヴズを営んでいるのである。

 

 

セルフアーカイヴズのメディア/Media of Self-Archiving

  以上に見てきたような性的マイノリティのアーカイヴズが行われるためには、その収集/記録に対して歴史的な価値を認める当事者の存在も欠かせない。最後に紹介するのは、そんな当事者達の生の声や収集過程そのものを記録していく二重のアーカイヴズである。アーカイヴズのアーカイヴともいえるこの特殊な記録の代表例は「ただ通り過ぎるだけでなく『Not Just Passing Through』というドキュメンタリー映像である。この映像はLHAがブルックリンへの移設したことを祝うシーンに始まり、LHAの独創性や寄贈-収集者たちのリアルな表情までを記録することに成功した。こういった二重のアーカイヴズの意義とは、収集品に宿る生きた記憶の重要性を再度心に訴えかけ、コミュニティの存続意欲を活性化することであり、後に続く世代にとっての記念碑的存在となることである。​​

 

  失われる歴史の当事者であるという意識。時に強迫的とさえ思える彼/彼女らの歴史保存の努力は、主流なアーカイヴズとは異なる方向性をもつ、自律したアーカイヴを存立させていた。そのようなオルタナティブ-アーカイヴズの強みは、その土地に育まれてきた独自の運営方法や、関係する者の人情、責任感であり、それらに守られたアーカイヴズやコミュニティは、マイノリティの精神生活を支える知的で暖かな体温を、今も提供している。

 

 

欠片の先に-アイデンティティと繋がりのためのオルタナティブアーカイヴ/Beyond the Fragments-Alternative Archive for Identity and Connection

  以上に紹介してきたとおり、多様なオルタナティブアーカイヴの事例は、伝統的な制度的アーカイヴの枠を越え、より多層的かつ主体的な記録と記憶の実践を示している。プレイは自らの記録誌を通じて行為の記録と発信を継続してきたが、アーカイヴズには紙媒体のほかに映像や写真も蓄積されており、その多層的な記録によって彼らの精神性や活動の実態が今に伝わってきている。

 

  一方、性的マイノリティのアーカイヴズでは、私的な空間で収集されたTシャツやポスター、手書きのメモなどの儚い物質が、コミュニティの感情と歴史を伝える重要なメディアとなっている。これらはしばしばセミパブリックな空間で管理され、プライバシーや安全性を考慮しつつ公開されてきた。このようなオルタナティブアーカイヴの特徴は、多様な参加者による多角的な記録、そして形に残りにくい感情や経験の痕跡を進んで保存していく点にある。制度的なアーカイヴが権威や体制の視点に偏りがちな一方で、オルタナティブアーカイヴは声なき声をひとつずつ可視化し、社会的に抑圧された記憶や感情をもう一度社会へ還元する力を持つ。

 

  さらに重要なのは、これらのアーカイヴが単なる記録の場に留まらず、アイデンティティの再構築を可能にする思考の場として機能していることだ。自分たちのためにアーカイヴズを構成するという行為は、その当事者が自己を再認識し、分断された歴史や社会のなかで新たな連帯を生み出すきっかけともなる。オルタナティブ-アーカイヴがその力を発揮する時、それは単なる過去の記憶保存ではない。彼らが社会との共生のあり方を問い直すための、実践の拠点となるのである。

  限られた時間でのリサーチとなってしまったが、現在日本で実践されているオルタナティブアーカイヴズ、あるいはその周辺の仕事を紹介させていただいて、本稿を終えたいと思う。

 

  1. 全国各地の草の根アートを記録する「daitai art map」が公開、約100団体を掲載|NiEW(ニュー)

  2. NEUTRAL COLORS 

  3. daitai art map

  4. CLUB METRO アーカイブ・ブック

  5. ヒューマンライツ&リブ博物館-アートスケープ資料が語るハストリーズ @ 京都精華大学ギャラリーフロール

​髙橋優羽:愛知県出身。愛知県立芸術大学油画二年在籍。保存された物質や凍結された瞬間は、消えていく未来に動機づけされた、時間へのささやかな抵抗です。「コンテクストと物質、そしてその間」では、一般には保存価値が曖昧で、軽視されやすい存在に対するアーカイヴ的アプローチを試みます。​​

bottom of page