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イラン・ヒップホップにみる脱中心化
抑圧・偏見・混沌のなかの創造

執筆:川口真知

  本稿及び筆者はいかなる主体によるものであれ、民間人に対する暴力や虐殺、国際法違反行為を支持しない。また、特定の当事者への感情的移入を避け、一次資料や国際的報道に基づき記述する。自らの平和的活動の限界を感じつつも、「しない善よりする偽善」の精神で考えを共有し、本プロジェクト主催劉海名氏の推進する「単一的判断基準の問い直し」を読者に提示したい。

 

  本稿では、まず近年のイランとイスラエルをめぐる戦争の経緯を事実に基づき整理し、その背景として国際的緊張下の情報構造を確認する。そのうえで、イラン・ヒップホップに見られる「抑圧」「偏見」「混沌」という三つの状況と、活動形態における三層(ストリート、国内無許可、国外活動)を分析する。さらに、グローカリゼーションの中で進む文化的脱中心化の姿を描き、最後に知ること自体を脱中心化の実践と捉える筆者の立場を述べる。

 

  イラン・ヒップホップという文化現象を論じるにあたり、その背後に広がる国際的緊張や報道の構造を無視することはできない。本稿はまず、近年の戦争の経緯を事実に基づいて整理する。それは政治や軍事を論じるためではなく、情報がいかに中心化された枠組みの中で流通し、どのように受け止められるのかを考えるための出発点である。

 

  2024年4月、シリア・ダマスカスのイラン大使館コンプレックス(領事部を含む)が空爆され、イラン革命防衛隊幹部を含む死者が報じられた。イランは報復を予告し、同月中旬には多数のドローンとミサイルを用いた過去最大規模のイスラエル攻撃を実施した。2025年6月13日、イスラエルはイラン本土の核関連施設や軍事拠点への空爆を開始し、標的にはナタンズ、フォルドー、エスファハーンなどが含まれた。目的は核計画の遅延にあったとされ、イランは数百発規模のドローンと弾道ミサイルで応酬した。日本政府は最初の段階でのみ、このイスラエルの攻撃を「情勢を悪化させるもの」として非難し、最大限の自制を求めた。その後、米軍はB-2爆撃機によるバンカーバスター攻撃を実行し、国際原子力機関(IAEA)はフォルドーの地下施設やエスファハーンのトンネル入口に重大な損傷があった可能性を指摘した。米政府関係者からはイラン最高指導者ハメネイ師の所在把握や暗殺を示唆する発言もあったが、実行には至っていない。G7諸国は公式声明で直接の支持は避けつつも、地域安定の観点からイスラエルの行動を肯定する含意を持たせた発言が一部であった。6月下旬、米国・イスラエル・イランはそれぞれ勝利を宣言して停戦合意し、IAEAは未申告核物質に懸念を表明し、衝突再燃の可能性を警告している。

 

  以上がイランの昨今における戦争関連の一部の事実整理である。ここで本稿における「脱中心化」を定義する。本稿及び筆者は「脱中心化とは、自身の視点を現在の枠組みから外に置き続ける行為」と解釈している。2025年6月の戦争に関連して、先制攻撃を受けたイランに対し、ある首相が明らかな人道法違反を伴ったイスラエルの行動を「汚れ仕事を行ってくれた」と表現したと報じられた。また、ある大統領は公的な場でイラン最高指導者について暗殺を想起させる発言を行った。筆者は、これらの発言や行動に触れるにつけ、国際秩序において平和を保障する枠組みが揺らいでいる現状を、少なくとも思考の枠組みに留めておく必要があると考える。

 

  そのうえで私は、イランのラップミュージックに、ある種の脱中心化としての動きを見ている。それは抑圧、偏見、混沌の中で、彼らの内的エネルギーを表現する媒体としてラップを用いる姿に顕著である。リズムや韻といったペルシア語との言語的親和性も手伝い、時には命をかけてまで発信する彼らの姿には、現代日本のラップシーンには見られない、手段としてのラップがある。例えば、トーマジュ・サレヒーというラッパーは、不適切な内容の楽曲による死刑判決報道から破棄、釈放、再拘束と波乱を経た。アメリカ発祥の文化であるヒップホップを使い、アメリカや欧州による制裁をテーマにした楽曲を発表するなど、グローカリゼーションの文脈を鮮やかに体現している点もまた中心の揺らぎに伴う発展を示している。

 

  イラン・ヒップホップは、無名ストリート層、国内名声あり未許可層、海外名声あり層という三つの活動形態によって構成され、状況によって相互に往来する、という解釈をされることがある。これらは階層ではなく経路であり、検閲や市場条件によって再構成される。ラップは公式許可を得にくく、女性の単独歌唱は一般的には禁止されている。主要SNSは恒常的に遮断され、国民は通常VPNを用いて生活を行う。(抑圧)国内では「不道徳」とする見方も残るが、若者層にはポップ音楽として広く受容され、都市音楽と位置付ける声もある。国外では抵抗の象徴として単純化する報道も目立つ。(偏見)戦況、近隣情勢、大国政治家の発言などが同時多発的に流入し、真偽の混ざる情報が錯綜している。この環境自体が分散配信の促進要因となる。(混沌)

 

  戦争というイメージが強く流布される国であっても、そこには確かな歴史や文化が存在し、国内の生活単位ではむしろその側面のほうが重要であると解釈されている。言語とは本来、ある事象を簡略化した記号でしかなく、その背景にある真実に辿り着くには相当な根気が必要だ。だからこそ、イランのヒップホップだけでなく、その言葉ひとつひとつを噛み締め、それが何を表しているのか悩み、苦しみ続ける快感を味わってほしい。知ること自体が脱中心化の第一歩である。それは立場の選択ではなく、情報の出所や背景を批判的に吟味し続ける行為であり、戦争のニュースから文化的活動に思考を移す過程そのものが、中心を揺らす営みである。

 

 

川口真知:愛知県出身。東京外国語大学言語文化学部言語文化学科中東/ペルシア語専攻在籍。イランの社会的制限下で育まれてきた「ストリートラップ」を中心に、イランのアンダーグラウンド文化を研究している。

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